どっちも、見えてる。
身体と心、どっちもどっち。
2つあるように見えても、人が今生きている時というのは、その二つが重なりあっている。
身体と心、どっちが見えにくいかっていうと、どっちもも見えにくい。
見えてるつもりの身体も、中はよく見えない。判らない。
見えていないはずの心というもの、なぜか顔にちゃんと出てる。
さらにその後ろ姿にちゃんと映っている。小さな子供までもがそれを見てる。
見えると思っていたものが実は見えにくくて、見えていないと思っているものが実は丸出しだったということはこのことだ。
見えないはずの心の具合がひずんでくると、自分自身の周りになんだか変なことが起こり始める。
自分では何もしていないつもりでも、向こうからヘンことが飛び込んでくるかのように見えてやってくる。
でも、それは見えないはずの心の奥がひずんでいるよという宇宙からの思し召しでもあるかのよう・・・?
思し召しでも何でもない! 心の中のことはその人自身の周りの環境を創り出すエネルギーパターンとなっているだけだ。
心が落ち込んでいる時、つまらないことが次々とやってくる。・・・ように一見見える。
それは、自分の心の奥底が破れていたり、ぐちゃぐちゃがそのまま放置されていたりしている時だ。
その人を活かしているエネルギーがその人を通して、その人の周りにエネルギー場を創る。
その人の生体がそのエネルギーを発生させているように見えるけれど、その人もまたエネルギーの通り道なのかもしれない。
通り道のデコボコがその人の周りの環境に表現されるというわけだ。
空間に色々な素材が散らばっている。
でこぼこで表現されたエネルギーが様々な素材を吸着して、そのパターンを表現し創造していくというわけだ。
もつれた糸を解く時、やさしくそっとゆっくりと丁寧に・・・・。扱う。
ややこしくもつれてどうしようもないと思えるような意図や意思だって、丁寧にそっとゆっくりと落ち着いて・・・・、、、すると少し落ち着いてくる。同時に魔法の言葉を発してみる。
ありがとう。誰に?
だれでもいいのだ。
ありがとう。
そっと優しく。ありがとう。
誰かが聴いている??
ありがとう。
これは宇宙へ響き渡る響きだ。 ありがとう。
心の底からありがとうを思いだしながら、ありがとう。
ありがとうという魔法の響きを持つ言葉で調整していく。
心の底からありがとうを響かせるためには、
ありがとうを思いだそう。これがひとつ。
そしてさらにはあえて思考してみる。
どのように思えば、その一見不運にも思える事態がありがとうと心の底から思えていえるようになるのか?
考えてみる、。取り組んでみる。
ありがとう。
本当にありがとう。
そうしていくと、物事というのは、見る角度、考える角度を少し変えただけで、色々な見方があるということを改めて思い知らされることになる。
そうだ、高慢になっていた自分自身に気づかされる。
いったい誰にありがとうを言い続けているのだ?
そうだ、誰でもいいのだ。
さっきからそこにいる私の心に、私のからだがいつも一緒にいてくれてありがとうと言っている。
そして同時に、私の身体に、いつもいつも守ってくれてありがとうと、私の心が言っているのだ!
心と身体が一体になって生きている。
そうして互いに活かしあっているのがこの世で生きている人なのだ。
だれにありがとうをいうのでなくてもいい。
ありがとうを聴いているのは私自身なのだから。

